7月9日のブログを掲載したおり、誕生会の様子の前半に
「われは海の子」の作者は指宿の町長さんが作った歌であることを紹介して、歌ってくれました。と掲載していました。 そうめん流し機の話と、「われは海の子」どちらも鹿児島県出身者によるものですが、二つを混同して掲載していました。
お詫びいたしますとともに、以下の文面★☆~~☆★に訂正しております。今後、気を付けて参りますので、御了承のほどよろしくお願いいたします。
★☆園長先生から、年長さんが植えたひまわりが咲いていることや8月の出来事などのお話がありました。
夏の食べ物と言えば、「そうめん」があります、開聞町の唐船峡のそうめん流しが有名です。回るそうめん流し機で食べたことがある人も多いことでしょう。あの「回るそうめん流し機」は、開聞町の唐船峡に観光客を呼びたいと考えた当時の開聞町職員が知恵を絞って考え、作り出したもの!」というお話をしてくださいました。
お話の終わりには、「われは海の子」、歌ってくれました。
PS:「われは海の子」は明治15年に作られ。作詞は、鹿児島市加治屋町出身の宮原晃一郎さんです。☆★
現在は、7月9日のブログ上でも上の文面になっています。 お読みいただきありがとうございます。